つまらぬものを斬ってしまった

誰の琴線にも触れないであろう日常のカタルシス

【自作小説】まりこinわんだーらんど(連載中)

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なんかねー

夢を見まして

その夢がまたすげーファンタジー

恥ずかしいくらいにファンタジーのヒロインでした

この私、41歳につき

 

どーも、まままっこりです

 

でも、このまま忘れるのはもったいないなー

ってちょっと思いまして

ブログ書き起こすついでに

そーいや、41歳が主役のファンタジーって

あんま無いんじゃね?って思っちゃった

 

アリスとかドロシーとかウェンディーとか

どれ取ってもキラッキラの10代

いわゆる少女

 

少女じゃないと不思議の国に行くことは許されない

その金字塔をぶっ壊してみようっつー

謎の冒険心に火がついてしまったので

てか、誰もそれを止める人がいないので

 

実際見た夢をだいぶ誇張して

小説を書いてみることにしました

しかも、自分を主役にもってくるという

勇気ある愚行をやってのけます カッケー、オレ

 

だってほおずきれいこさんが言ったもん

小説家になれるって言ったもん

あのれいこさんのお墨付きだもん

フジコさんも言ってたもん

青空さんも言ってたもん

鵜呑みにしたんだもん

 

てか、忘れたとは言わせないからお三方

 

じっくりゆっくり 

書き増やしていく予定なので

生意気にも「連載」というやつです

 

単純に興味のある方、もしくは

時間を無駄にしても差し支えない方

読んで頂ければ幸いです

 

  

 

 

真梨子と奇妙なピエロ

 

久しぶりの休みだった。

平日ゆえに娘は学校で居なかった

いつも居るはずの夫も、めずらしく出かけている。

とても静かな木曜日の正午だった。

誰がつけたか、テレビだけはにぎやかな声がしている。

ワイドショーのコメンテーターが、どこぞの政治家の醜聞を痛烈に非難し

満足そうにコメントをまとめたところだ。

真梨子はお気に入りの座椅子に全体重を預けてもたれ

それをぼんやり見ていた。

寝間着のTシャツと短パンのまま、今日はもう外に出る気は無かった。

食事すら面倒くさく、朝からコーヒーだけをすすって過ごしている。

コーヒーの湯気でたびたび真梨子の赤い縁の眼鏡が曇り

その都度、得も言われぬ虚無感に包まれた。

(なんて暇なんだろう・・・)

真梨子は憂えていた。

毎日がとても忙しく、とても退屈だからだ。

真梨子が働きに出て、夫が専業主婦になってから早いもので4年経った。

最初の頃は仕事を覚えるのに必死だった事と

家族を守る使命感の様なものに駆り立てられて

がむしゃらで、それなりに充実していた。

それがここの所どーにも空回りしている。

時折襲う倦怠感と無常観が全てにおいて無気力にしてしまっている。

実際、今飲み終わったコーヒーカップ

キッチンに持っていくことすら億劫になっている。

せっかくの休日であるにも関わらず何も手につかないどころか

何の喜びも期待も感じられなかった。

何一つやりたいと思うことも浮かばないまま

淡々と確実に、何事も無く時間だけが過ぎていく。

真梨子は今日、42歳の誕生日だった。

すっかり忘れていたのに、当日になって思い出してしまった。

──誕生日なんて来なくていいのに)

そう思っていても、時間は規則正しく

加えて律儀にこの日を連れてきた。

 

「ブーーーッ!」突然、玄関のブザーが鳴った。

NHKの集金かしら・・・?)

真梨子はそっとテレビを消して立ち上がった。

いざとなったら「ウチTVアリマセン」と言う為だ。

それからゆっくりとドアの前に立ち、ドアスコープから外を覗くと

そこには見慣れないスーツの男性が一人立っている。

NHKではないみたい・・・)不思議に思っていたところに

「ブーーーッ!」「ギャッ!」もう一度ブザーが鳴った。

あまりに驚いたため、少し声が出てしまった。

もう居留守は使えないと観念した真梨子は、恐る恐るドアを開けた。

するとそこには・・・

 

するとそこにはピエロが立っていた。

 

厳密にはピエロのような男が立っていた。

というのも、真梨子はピエロを見たことが無かった。

それでもこの急に現れた見知らぬ男を

ピエロっぽいと認識するには十分な要素があった。

赤と黄色の三つ又に割れた帽子をかぶり

星の形に似たよだれかけのようなものが襟元を覆っていた。

パジャマのようなドレスのようなヒラヒラとした服には

金や銀の刺繍が施されていて、スワロフスキーやビーズが

ところどころでキラリと光っていた。

何と言っても男がピエロに見えた一番の理由は

その尖った先端がクルッと上を向いている靴だろう。

靴の先には当然、丸い金のタマがくっついている。

TVやアニメのイメージしかないが、そんな靴はピエロしか履かないものだ。

イメージ通りでいけば、そんな格好の男は

大きなボールの上でジャグリングをするし

一輪車に乗ったまま綱渡りをするだろう。

しかし、そのほぼピエロの格好の男は、大きなボールにも

一輪車にも乗っていなかった。その代わり

大きな赤い宝石のようなものが付いた金色の笏をクルクルと回し

派手な格好に不釣合いの地味な黒革の旅行バッグを持っていたのだ。

外国人とも日本人とも言えない中立的で端正な顔立ちの

その男はニコニコと常に人懐っこい笑顔を見せていたが

黒革のバッグの存在が真梨子を冷静にさせるには十分だった。

 

(確かさっきドアスコープから覗いた時は

・・・スーツの男性だったような)

 

しかしどこにもスーツの男性はいない。

にわかに信じがたいが見間違えたのだろう。

真梨子の家は3階建てのアパートで、お隣には

70歳を過ぎた田中さんという女性が一人で住んでいる。

田中さんはとても気さくで面倒見がよく

真梨子達家族を普段から気にかけてくれる。

何か事があれば、人の良いお隣さんにも迷惑をかけかねない。

真梨子は改めて自分の警戒心の無さを反省した。

(夫にもよく注意されていたのに・・・。)

そしてゆっくりドアのチェーンに手をかけた。

今からでもこの怪しい男から身を守らなくてはいけないと

自分を戒めた。それと同時に

誰が見ても不審極まりないこの男に、何故かそれほど

恐怖を抱いていない自分自身にも驚いていた。

あまりに現実離れした存在が目の前に現れて

頭の方がついて行っていないのかもしれない。

その様子を察したように男が口を開いた。

「いきなりこのように押しかけてしまい失礼致しました。

ワタクシは使いで参ったのでございます。」

そう言って男はバッグを一旦床に置き

三つ又の帽子をサッと脱いで深くお辞儀をした後

星型の襟元に手を入れ、中から一枚の名刺を取り出し真梨子に差し出した。

「お初にお目にかかります。ワタクシ馬場と申します。」

帽子を脱いだ男の肩に見事な金色の髪がサラリとかかり

男の整った顔立ちに更に彩りを添えていたが

やがて42歳にもなる真梨子にはそれが逆に不信感を募らせた。

差し出された名刺を受け取ることなく真梨子は言った。

「あ、あの、たぶんお宅を間違えていますよ?」

それは当然のことだった。真梨子にはこんなへんてこりんな格好の

しかもこんな仰仰しい言葉遣いの使いを送ってくるような知り合いは

一人もいない。もちろん夫の知り合いにも聞いたことが無い。

それを聞いた男はアハハと声を軽くあげて笑うと

「間違いなんてとんでもない、真梨子様。

ワタクシは貴女に用事があって参ったのです。」

相手が自分の名前を知っていたことに、内心ギョッとしていたが

それを悟られてはいけないと、真梨子は極めて冷静なフリをした。

動揺しているのを人に見られるのは苦手だった。

それが初めて会う人なら尚の事。

「あのー、どなたから、一体何の用事でしょう?

私、これから出かけなくてはいけないので

手短にお願いできますか?」

出かけなくてはいけない用事など無かったが、この会話に

真梨子は保険をかけたつもりだった 。

「そんなに警戒なさらずとも大丈夫です。

貴女様のご主人からお預かりしたものがございまして

そちらをお渡しするよう仰せつかったのでございます。」

そう言いうと今度は金の笏を壁に立て掛け

バッグから白い封筒の様なものを取り出した。

封筒の表には夫の字で「真梨子へ」と書かれていた。

さすがに真梨子は混乱した。

夫にこんな知り合いは居ない。絶対と言っていい。

しかも誰かに妻宛の手紙を託すような人ではないし

そもそも急な用事があるなら電話一つですむ話である。

なのに封筒に書かれているのは、確かに夫の字で間違いなかった。

真梨子のよく知る美しい達筆、しかしそれだけではやはり

目の前の男の怪しさを拭いきれない。

「えーっと、失礼ですが主人とはどういったお知り合いで?

ご友人・・・には見えないものですから」

男はフッと笑い、ハッキリとした口調で話し出した。

 

「実はご主人とは先ほど初めてお会いしたのです。

ワタクシは今日、とあるパーティーに出向く予定でして

この様な格好をしているのも、そのパーティー

ちょっとしたショーがあるからでございます。

そのパーティーと言いますのが、とても大切なパーティーでして

ショーを任されているワタクシには、いやはや責任重大。

失敗などとても許されない状況でございました。

パーティーのお客様をあっと驚かせるために

ワタクシは会場にいくつかの仕掛けを施さなくてはならず

誰よりも先に会場に向かったのはいいのですが

なにぶん初めての土地でして、お恥ずかしいことに

道に迷ってしまったのでございます。

そこに丁度ご主人が現れまして、まさに天の助けとはこの事。

道案内をして頂き、大事に至らずに済んだのでございます。

ワタクシはご主人に何かお礼を差し上げたいと申し出たのですが

ご主人は何やら大変お急ぎのご様子で、お礼はいらないので

どうかこの封筒を妻に渡してくれとおっしゃいまして

ワタクシとしましては、恩あるご主人の願い

是非とも叶えるべくしてここに参上致した次第でございます。」

 

そう言い終ると男は

胸に手を当て、深々とお辞儀をした。

そして改めて白い封筒に自分の名刺を添えて真梨子に差し出した。

ゆっくりそれを受け取ると、真梨子は改めて名刺を見た

名刺には「宮廷道化師 馬場赤瑪」と書いてある。

宮廷道化師、なんとも胡散臭い肩書きだった。

貴方は一体何者かと、喉まででかかった言葉をぐっと飲み込んだ。

今はもっと聞くべき事がある。それは夫の謎の行動についてだ。

この馬場という男の言っていることが、どーも信用できない。

大体、道案内したぐらいでお礼だの恩だのと少々大袈裟ではないか。

「それで、夫はどこに行くか言ってましたか?

急いでいる理由などは話していませんでした?」

「さあ?ご主人の行き先は存じませんが

ワタクシはこちらをお渡しするよう頼まれただけですので

封筒を空けて中をご覧になってはいかがです?」

確かに、それもそうだ。

封筒の中に何か手掛かりがあるかもしれない。

真梨子が封筒を開けようとした時、お隣の家の扉がパッと開いた。

そこから背の低いややぽっちゃりとした女性が顔を覗かせた。

「どーかした?真梨ちゃん」

お隣の田中さんだ。田中さんは普段からちゃんとお化粧をしていて

常に身綺麗にしている。70歳をとうに超えているようには

全然見えない上に、どこか品のある女性だった。

「あ、おばさん、主人のお知り合いが来てて・・・」

田中さんは目の前の男に目をやって、上から下まで隈なく精査した。

完全に不審者を見る目だ。

ただ、馬場は一つも動じることなく、笑顔でそれに答えると

「お騒がせしてしまい、申し訳ございません。お隣様

ワタクシ馬場と申しまして、こちらのご主人に

大変良くしてもらった者でございます。

その旨を今、こちらの奥様にお伝えしたところでございまして」

田中さんは疑いの目を遠慮なく男に向けたまま言った。

「本当に?詐欺じゃないの?」

「詐欺だなどと、とんでもない。

ご主人が帰ってこられた際に、どうぞ確認なさって下さい。

さすれば嘘偽り無き事が証明されますでしょうから。」

「それならいいけど・・・。最近この辺も物騒なのよ。

私、一人暮らしでしょう?もう心細くって・・・」

「それはそれは、心中お察し致します。しかしお隣にご主人のような

大層頼りになるお方がいらっしゃいますゆえ・・・。」

「あら、そうなのよ。それでね・・・。」

「・・なるほど、なるほど、それなら・・・。」

何故かすっかり打ち解けた馬場と田中さんは談笑しながら

そのまま世間話に花咲いてしまった。

こうなると田中さんの話は中々終わらない。

「あのー・・・。」

やっと真梨子が切り出した頃には、田中さんは完全に

馬場の虜になっていた。

「まあ、やだ、私ったら話し込んでしまって・・・

大事な御用があったのよね?邪魔しちゃってごめんなさいね。

じゃあ、私そろそろ失礼するわね。

真梨ちゃん、今度ゆっくりお茶でも飲みましょうね。

あ、馬場ちゃんも良かったらまたいらっしゃいね。」

そう言うと田中さんは上機嫌で扉を閉めた。

「馬場ちゃんて・・・。」

田中さんの為にも私がしっかりしなきゃ、真梨子は心から思った。

「なんとも気の置けない素敵なご婦人でございましたな。

さて、もう用事は済みましたし、ワタクシもこれから

急ぎの用がありますのでこれで失礼致します。

何かお困りのことがありましたら、どうぞ

名刺の裏に連絡手段がございますので

気兼ねなくお申し付け下さい。では、また・・・。」

男は帽子を綺麗に被り直し、もう一度小さく一礼した後、背を向けて歩き出した。

(ああ、パーティーとか言っていたっけ)

真梨子は馬場の方を見ることもなくそのまま扉を閉めようとした。

その瞬間に、ポツリと馬場の舌打ちが聞こえた。

「・・・ちっ、もう嗅ぎつかれたか・・・。」

「え?」

 閉めかけた扉を再び押し開けると、そこにはもう馬場の姿は無かった。

その代わり、馬場が持っていた黒革のバッグと金の笏が

扉の前に置いたままだった。

「え?え?何?忘れ物?

馬場さん!馬場さーん!?忘れ物ですよー!」

慌てて馬場を呼んだが、返事が無かったので仕方なく

真梨子はバッグと笏を持って馬場の後を追うことにした。

 

 

不思議のはじまり

 

「馬場さーん・・・。」

小さく呼びながら真梨子は階段を駆け下りた。

寝間着の白いくたびれたTシャツと深緑色の短パン

黄色い草履をサッとっと履いただけの姿で

このまま外に出るのはいささか恥ずかしい。

できれば階段を下りきる前に馬場を捕まえたい。そう思った。

馬場の残していった黒いバッグは見た目ほど重いものではなかったが

一方の金の笏の方は1メートルに満たない長さでありながらも

ズシリと重く、不思議なことに熱を帯びているように感じた。

片手で持ち続けるには重過ぎるので、アパートの階段を

一階分降りた所まで来ると両手で持ち替えたほどだった。

階段を降りながら少し冷静になれた真梨子は

馬場のことを思い返していた。

(──やっぱり、おかしい)

失敗できない大事なパーティーとやらがあるというのに

その準備の途中で、たかだか今日会ったばかりの

男の頼みを聞き入れる道理は無いはずで、ましてや

大事な会場への道に迷うほどの男が、なぜうちみたいな

しがないアパートにはたどり着けたのだろう?

「やっぱり嘘だ。本当は何が目的なの?」

考えれば考えるほど合点のいかないことばかりだ。

そして彼が最後に残した言葉。

『もう嗅ぎつかれたか・・・。』

一体何のことだろう?

 

そんなことを考えながら、真梨子は足を止め

ハッとして辺りを見回した。

 

もうとっくに1階に着いていてもおかしくないほど

階段を降りたはずだ。

でも、そこは見慣れた2階の踊り場だった。

今度は足早に駆け降りてみた。

そして見渡してみると、やはりまだ2階の踊り場である。

何が起こっているのか一瞬わからなかった。

何度か同じ事を繰り返した。

駆け足で階段を降り、踊り場を確認する。

何度見ても同じ2階の踊り場で、そのたびに握った笏が熱くなっている

そんな気がした。

(──落ち着いて・・・一度、家に戻ろう。)

真梨子は降りるのを止め、今度は階段を駆け上がった。

しかし今度は登っても登っても3階の踊り場にたどり着かない。

まるでエスカレーターを逆から登る様に、ずっと

そこは2階の踊り場なのである。

「・・・はぁ、はぁ。」

真梨子はすっかり息が切れて、とうとうその場にしゃがみこんでしまった。

42歳の身体に、これはかなりしんどかった。

「何が・・・どうなってるの?」

うつむく真梨子の頬に、上の方から温かい何かを感じた。

そのまま上を見上げると、3階に続いているはずの階段の先が

ぐにゃりと歪み、そのまま緩やかな螺旋状に形を変えたかと思うと

見えなくなるまで上へ上へと伸びていった。

螺旋の先からは明るい光が射し、真っ直ぐ真梨子を照らしている。

逆に下を見ると、モヤモヤとした真っ黒い影が広がってくるのが見える。

──あれは何?・・・煙?」

煙では無かった。モヤモヤとした大きな黒い影からは

小さな細い影が無数に伸び、触手の様に辺りを覆っていく。

「気持ちわる・・・。」

恐怖というよりむしろ嫌悪感と言うべき感情。

真梨子の全身が蠢く影を拒絶している。

影はまるで意思があるように蠢き、何かを探すようにゆっくりと

壁や天井、階段の手すりを飲み込んでいった。

アレに触ってはいけない気がする。

そう感じた真梨子は息も切れぎれに立ち上がると

再び階段を登りだした。

「逃げなきゃ・・・。」

それに気付いたように、蠢く影は勢いよく真梨子の方へと触手を伸ばしたが

上からの光が更に輝きを増し、真梨子を強く照らしながら包み込むと

影は一切手出しができないようだった。

飲み込もうとする影から、光が守ってくれているように思えた。

不思議なのはそればかりではなく

光の方に足を進めるにつれて、さっきまで重かった金の笏が

信じられないほど軽くなっている。

蠢く影が完全に見えなくなるほど階段を上ったところで、

少し落ち着きを取り戻した真梨子は、光の中でだんだんと目が慣れ

周りを見渡す余裕ができた。

辺りは螺旋階段を丸く包むように白い壁が張り巡らされ

壁のところどころに、奇妙な絵やオブジェのようなものが掛かっている。

奇妙であるにもかかわらず、そのどれにも見覚えがあった。

それもそのはず、全ては真梨子が子供の頃に作ったものばかりだ。

小学校の工作で作った気味の悪い形のお皿や、家庭科の授業で作った

不細工なクマの人形 。

幼稚園のときに描いた何かわからない生き物の絵。

お菓子の箱と割り箸で作ったロボットがこちらに手を振り

折り紙で折られたチューリップが5輪並んで歌を歌っている。

他にも昔遊んだ懐かしい玩具や、お気に入りだったもの達が

白い壁に掛かったまま、生き物のように踊ったり笑ったりしていた。

「どれもこれも、とっくで捨てたものや

いつの間にか無くなった物ばかり・・・。

ここはどこなんだろう?どこに向かってるんだろう?」

馬場なら何か知ってるのだろうか。

真梨子はこの状況を受け入れ始めていた。

玩具たちが動いていることにも動揺はなかった。

むしろその懐かしさに、少しばかり元気を貰ったように思う。

長く続く螺旋階段を登りながら、真梨子は今から

やるべきことを考えた。

手がかりとなるのは馬場しかいない。

彼が現れてから少しずつ、色んなことが変化している。

この状況を説明できるのは彼以外考えられない。

そしてここから何とか脱出して家に帰りたい。

「とにかく彼を見つけよう」

真梨子は思い出したように短パンのポケットから名刺を取り出した。

宮廷道化師、馬場赤瑪の名刺だ。

裏返してみると何やら文字が書いてある。

『蠢く影には気をつけなさい

私は貴女の少ない味方、困ったときには何なりと』

不思議なことにしばらくすると文字はスゥーっと消えてしまった。

「何これ・・・てか、あの人確か

連絡先がどーとか、気兼ねなくお申し付け下さいとかって

軽く言ってなかったけ?これじゃ何のことか全然・・・」

去り際の馬場の言葉を思い出しながら真梨子はハタと動きを止めた。

そうだ「連絡先」とは言っていなかった。

彼は「連絡手段」と言ってはいなかっただろうか。

「考えてみたら、スマホも財布も持って無いし

連絡先とか書いてあってもどーしようもないんだった

・・・てことは、連絡手段ってこの名刺そのものか」

真梨子は思い立って、黒革のバッグのファスナーに手をかけた。

(人様の荷物を触るなんてお行儀悪いけど・・・非常事態だし

ちょっと書く物を探すだけだから、ごめんね馬場さん)

バッグの中には変な衣装やアクセサリー、それと

何に使うのかよくわからない小物がゴチャゴチャと入っており

お目当てのものは中々見つからなかった。

しかしそれでもなるべく他のものを見ないようにしながら

一番奥のほうに手を突っ込んでみると、ソレらしき物の感触がした。

そのまま手を引っこ抜くと、赤い1本の美しい万年筆を握り締めていた。

「なんかわかんないけど、あると思った」

真梨子は少しだけ考え込み、万年筆で名刺の裏に走り書きをした。

『私を家に帰してください』

すると思ったとおり、真梨子の書いた文字はスゥーっと消え

新たな文字が刻まれた。

『今はまだ危険、闇の力が強すぎる

このまま前に進みなさい

さすれば必ず望み通りに』

危険?闇の力?

真梨子は畳み掛けるように次の言葉を書いた。

『危険って何?

あなたは今どこにいるの?』

返事はすぐに返ってくる。

『私はいつも貴女の傍に』

この答えに少し呆れた真梨子は

「や、そんな口説き文句みたいのじゃなくて

こっちは本気で聞いてんだけど・・・。」

するとまた文字は消え、新しい文字が浮かび上がった。

『光の加護があれば心配要りません

決して蠢く影に捕まらぬよう

心してお進みください』

その後は真梨子が何を書いても『前に進みなさい』としか

返事が無かった。

真梨子は名刺と万年筆をポケットに仕舞うと

ついでに笏をバッグの中に詰め、再びファスナーを閉めた。

「さて、残る手がかりはもう一つ」

短パンの反対側のポケットをまさぐると、白い封筒を取り出した。

夫の字で「真梨子へ」と書かれたあの封筒だ。

封筒を開けると、中から銀の小さな鍵がコロリと滑り落ちた。

それから手紙が1通入っていた。

手紙には見慣れた文字、間違いなく夫の字でこう書かれていた。

 

『いつも迷惑ばかりかけてすまない

全てがうまくいったら、ちゃんとしようと思ってる

それまでまだ少し苦労かけるけど

どうか信じていてほしい』

 

真梨子は何度も読み返した。

本当はとても心細くて堪らなかった。

夫も同じように何かトラブルに巻き込まれているのだろうか。

まさか娘は・・・。

考えると恐ろしくなり胸がギュウっと締め付けられた。

「止めよう、悪い方へと考えるのは

信じろって書いてあるじゃない。」

真梨子は手紙を丁寧に封筒の中に戻すと

更に大事にポケットの中に仕舞った。

「ここはもうたぶん私の知っている世界じゃないけど

来れたってことは帰れるってことだよね。

多少胡散臭いけど味方もいるし

あの気味悪い影には絶対捕まってはいけないし

とにかく前に進む以外に道は無いんだ。」

なんて立ち直りの早さだろうと自分でも呆れるほどだった。

もしかするとただの強がりなのかもしれない。

しかし、その決断とほぼ同じタイミングで変化が訪れた。

螺旋の光の先に小さな扉が現れたのだ。

茶色い板チョコレートのような扉は、ちょうど人が一人

かがんでくぐれる大きさだった。

小さな古びた金色のドアノブがちょこんと付いており

真梨子は覚悟を決めてそのノブを握った。

わずかに軋むような音をたてて扉が開くと同時に

一瞬の眩しさが暖かな風と共に漏れた。

この向こう側に行けば、もう後戻りは出来ないだろうと

真梨子は直感していた。

この先に何があるのかわからない。

不安が消えたわけでも無かった。

 

それでも真梨子は決断した。

大きく深呼吸をした後、自らの意思でこの冒険の一歩を

踏み出すのだと。

 

 

 ゲマとゲゼル

 

林の中にいた。

いや、森の中だろうか。

 

無数の樹木が生い茂る、ムンとした熱気の中に真梨子は立っていた。

足元から広がる苔の絨毯は木々の根元まで這うように伸び

長い蔦がカーテンのようにだらりと垂れている。

どんなに目を凝らしても、その風景は何処までも変わることはなかった。

時折吹く風が木立の葉を揺らすと、その隙間から日の光がこぼれ

姿こそ見えないがどこかに息を潜めているであろう虫の声や

鳥の羽音がざわざわと共鳴し、どことなくではあるが

生き物の息吹を感じることが出来た。

だが、ヨレヨレのTシャツと短パン、ゴム製のラフな草履姿で

黒い革のバッグを抱きしめる中年女性だけが

どーやったって不調和である。

「ていうか・・・。

スタート地点からいきなり遭難状態ってどーよ?

このまま進んだら確実に死ぬっての。」

真梨子は早くも後悔し、元来た道を戻ろうとした。

が、後ろを振り返るとさっきくぐったはずの扉は消えており

同じ様な森林が鬱そうと続くだけだった。

「なんとなく、そんな気はしてたんだけどね。」

真梨子は思ったことを全部口に出してみることにした。

少しでも不安を和らげる為だった。

「このままここに立っていても仕方ない。

どこか、もっと明るい場所まで出なきゃ・・・。

せめて水のあるところ、川でもあればいいんだけど。」

苔むした道なき道はふかふかとしていたが、気を抜くと

ゴム草履では滑りやすかった。

真梨子は田舎生まれの田舎育ちではあったが、こんな森の中を

何の装備も無く、ましてや一人で歩いたことは無い。

あてどなく、どこまで続いているのかわからない森。

どこに向かっているのかもわからない自分。

ほんのさっきまで、家の中で座椅子にもたれながら

のんびりコーヒーを飲んでいたのに・・・。

「や、暗い暗い。ダメダメ。

こんな時に暗くなってちゃ余計ダメ。

そーだ、こういう時こそ馬場の出番じゃん。」

名刺と万年筆を取り出し、馬場に話しかけてみた。

『森で迷子になりました。一体どーすれば?』

しかし、暫く待ってみても名刺に書いた文字は

消えることなく残っている。

「え・・・。」

『どこを目指せばいいのですか?アドバイス下さい。』

そう書き足してもみたが、名刺の裏が文字で一杯になっただけだった。

当然と言えば当然なのだが真梨子は多少イライラした。

「ここに来て、まさかの圏外とか?」

諦めた真梨子は、最終的に名刺の表の方に『バーカ』『アーホ』

『変態ピエロ』と書き足してから

名刺と万年筆をポケットに突っ込み再び歩き出した。

──少し冷静になろう。

「よく見たらブナに似た木がたくさんある。

これだけ苔が生えてるってことは必ず近くに

水があるってことだろうから・・・。

なるべく緑の深いところを選んで進めば

川か泉にたどり着くかもしれない。」

確証は何もなかった。でもマンガかあるいは小説などで

なんとなく見たことがあるような中途半端な知識。

それだけが真梨子の支えであった。

でも本当は森の中の遭難時において、とても危険な行動だったが

真梨子がそんなことを知る由も無かった。

 

ザクッ。ザクッ。

 

湿り気を含んだ枯れ葉を覆う苔の地面を踏む音が響く。

どれくらいの時間が経ったのだろう。

どれくらい歩いただろう。

少しばかり開けた場所に、程よい切り株を見つけると

真梨子はそこに腰かけてもう一歩も歩けなくなった。

「下手したら野宿の覚悟も必要かも

でも経験はないし、まず何したら良いんだろ。」

その時だった。

どこからかヒソヒソと話し声がする。

声のする方へ近寄り、木の影から様子をうかがってみると

男が二人話し込んでいる後ろ姿が見えた。

一人はヒョロリと背が高く、薄い毛布のようなマントを身体に巻き

脛まである編み上げのブーツを履いている。

マントは風もないのにフワフワと揺れているようで

時々その隙間から腰に大きなシースナイフを挿しているのが見え隠れした。

ツバの付いた帽子を深く被ってはいたが、およそ手入れの行き届かない

ボサボサとした赤毛が無造作にはみ出している。

もう一人はズングリとした体型で、似たようなマント姿だったが

頭から首にかけて別の薄茶色の汚れた布をグルグルと巻いていた。

長いロープの束を肩から引っかけ、反対の肩には袋状の

重そうな荷物を掛けている。

ここからでは二人の顔はよく見えない。

どちらかというと立場が強そうな赤毛の方が切り出した。

「だからそれじゃ割りに合わねー。

罠を仕掛けるのが一番だぜ。兄弟」

ズングリの方が頼りなさげな声で答える。

「罠っつったって兄貴、そう簡単にいかねーよ。」

赤毛はフンと鼻を鳴らした。

「そうでもねーさ。上等な餌さえあれば

アイツらだってその辺の猪と変わりはねーよ。」

「餌っつったって兄貴、どうすりゃいいのさ。」

「そりゃー・・・」

赤毛はそう言いかけて、何かの気配に気付いた。

真梨子がもっとよく聞こうとして一歩近づいた際に

足元の小枝を踏む音がパキッっと小さく響いたからだ。

慌てて隠れてみたが間に合わなかった。

どうやったのかわからないが男たちは目にも留まらぬ速さで

真梨子を囲んでいた。

「これはこれは・・・。

こんなところにゲゼルがいるなんて・・・。

いや、珍しいこともあるもんだな。」

低く呟く声の方を恐る恐る見上げると、ギラリと光る切っ先が

真梨子の鼻筋を捉えていた。

男がシースナイフを向けているのだ。

真梨子は言葉を失った。

そしてナイフを持つ手の先に見える男の姿を

ゆっくりと目で追った。次の瞬間

真梨子は言葉どころか今度は呼吸まで止まりそうになった。

なぜなら、しゃべっているのは人間では無い。

その目は赤く細くつり上がり、なんとも冷たい視線を真梨子に送っている。

顔中が亜麻色の毛で覆われており、鼻から口元にかけて

前方に長く伸びている様子は、まるでキツネのようではないか。

フワフワとマントを揺らしていたのは、髪の毛と同じ色の

フサフサとした立派な尻尾だったことが今やっとわかる。

もう一人の男も同じ様に毛で覆われた顔をしていたが

キツネとは若干異なり、目の周りは隈の様に黒い毛で覆われている。

タヌキの顔そのものだと真梨子は思った。

そこにキツネ顔の男が話しかけてきた。

「お前さん、ここで何をしてるんだ?

しかもその格好は何だ?ゲゼルの間じゃそれが流行ってるのか?」

なんとか言葉が通じるのがせめてもの救いだった。

恐怖で体が小刻みに震えはしたものの、ナイフに意識を集中させたまま

真梨子はやっとの思いで答えた。 

「あ・・・あの、私、迷ってしまって・・・。」

真梨子のその言葉に、二人の男は一瞬顔を見合わせ

訝しげな表情をしたような気がした。

だが、キツネ顔の男はすぐに向き直り

「こんな森にゲゼルが一体何の用だい?

もう一時もすれば日が暮れて、右も左もわからないだろうに。

何をしにきた?他に仲間がいるのか?」

一方タヌキの方は、物珍しそうに真梨子の周囲ををグルリと回りながら

頭からつま先までじっくりと凝視してくる。

真梨子が抱きしめている黒い革のバッグに、尖った鼻先を近づけ

フンフンと鳴らしながら匂いを確かめているようだ。

若干それを不愉快に思いながらも真梨子は何とか答えた。

「えっと、別にこの森に用があったわけじゃないんですけど・・・。

ふ、不慮の事故と言いますか、人とはぐれた・・・って言うか。

私、この辺りには全然詳しくないんです。」

キツネ顔の男は少し考えてから周りを見渡し、誰もいないのを確認すると

ナイフを腰に仕舞い、声を和らげた。

「そりゃー、さぞかし難儀したみてぇだな。

この森を出て、一番近いゲゼルの街まではだいぶある。

俺達はこれから一仕事しなきゃならねーから

夜は野営することになるが、それで良けりゃ

街まで連れて行ってやってもいい。」

タヌキが一瞬「え?」と言うようにキツネの方を見たが

キツネがそれを制す動作をしたのでそのまま黙った。

それに対して真梨子は少しだけ不信感を持ったが

このまま一人で夜を越すのは得策ではないと思ったので

気付かないフリをして男たちに付いて行く事にした。

「ご親切にありがとうごさまいます。

どうぞよろしくお願いします。あの・・・。」

真梨子はペコリとお辞儀をしてから

ここで名前を聞くのは失礼にあたるのだろうかと少し迷った。

しかし、男は真梨子のことよりずっと気になることがあるらしく

しきりに周りをキョロキョロしながら

「とりあえず急ごう。・・・えーっと、あんた名前は?

俺はスキート、こいつはベルクだ。」

名前を呼ばれたタヌキはちょこんと首だけで会釈した。

「あ・・・真梨・・・。えっと・・・。」

と、名前を言いかけて一瞬、真梨子は躊躇した。

果たして本名を名乗るべきだろうか?

向こうは名乗ってるわけだから嘘をつくのも気が引ける気もする。

しかし、よほど急いでいるのか、スキートという男は

少々早合点したようだ。

「アマリエットか、なかなか良い名だ。

大きなお世話かもしれないが、名を名乗るときは

もっとはっきり言った方が良い。

うっかり間違えでもしたら大変だからな。

それじゃ付いて来い、アマリエット。

日が暮れる前にもっと条件の良い場所まで出るぞ。」

そう言ってスキートはスタスタと歩き出してしまった。

誤解されたようだが仕方が無い、これは不可抗力だ。

訂正するタイミングは無かった。そう自分に言い聞かせ

真梨子は新しい呼び名を甘んじて受け入れることにした。 

(恥ずかしい・・・。知り合いとかいなくて良かった。)

スキートの歩みは速く、真梨子の体力はすでに限界を超えていたが

遅れをとって迷惑をかけたくなかったので必死でついて行った。

そこに、先ほどからずっと真梨子の周囲をウロウロしていた

ベルクがぬっと顔を近づけてきた。

「なぁ、アマリエット。

それ、重そうだな。持ってやろうか?」

ベルクは真梨子の持つ黒い革のバッグが気になって仕方が無いようだ。

それが親切心からくるものなのか 、良からぬ事を考えているのか

まだ判断はできない。

「ご親切にありがとう。

でも、実は見た目ほど重くないの。

貴方こそもうそんなに荷物を持ってるじゃない。

お願いするわけにいかないわよ。」

若干不満そうな様子を見せたものの、ベルクは

「でもアマリエットは女だろ?。おいらは男だ。

男は女にゃ優しくしてやるもんだって兄貴が言ってた。

おいらはゲマの中でもだいぶ力持ちなんだぜ。

こんな荷物ぐらい屁でもねー。」

そう言って自慢げに、自分の腹の辺りを拳で一つ叩いた。

その時、まるでポコンと太鼓の様な音が森中に響いたので

「しっ!」っとスキートに一睨みされ、

この恰幅の良い酒樽の様な男はしゅんっと小さくなった。

もしかするとベルクは思ったより良いヤツなのかもしれない。

少々哀れに思った真梨子は小声で話しかけた。

「ねえベルクさん、その・・・ゲマってなあに?

あと、さっきも知らない単語があってね。

なんだっけ、ゲゼ・・・。そう、ゲゼルってなあに?」

すると今度はスキートがギョッとした顔で振り返った。 

「おいおい、冗談言ってるのか?

ゲマとゲゼルを知らないだって?」

何かまずい事を言ってしまったように思えたので

真梨子は慌てて言い訳をした。 

「あ、えーっと、実は私ちょっと病気で・・・。

そう、記憶の病気で。だから色々忘れちゃってて・・・。

面倒かもしれないけど、色々教えてくれると助かるんだけど。」

それを聞いてスキートは、わずかに眉を上げ

何とも言えない複雑な顔をした。

普通の人間の顔であれば真梨子にも多少表情が読めたかも

しれないが、それは無理だった。

「ゲゼルってのは簡単に言うとお前さんのことだアマリエット。

正式にはゲゼルタイプと言って、混じりけ無しに人の形をした者のことを指す。

純粋種なんて言い方もあるな。」

その言い方にほんの少し皮肉めいたものを感じた真梨子は

ただ黙って聞いていた。

「ゲマって言うのは俺達みたいなやつの総称だ。

いわゆる獣人のことさ。人の形に何か少しでも他の生き物の

特徴があるとゲマインナイザーと呼ばれる。

本来なら、ゲマとゲゼルが関わりあうことはあまり無い。

俺も付き合いのあるゲゼルは数人しかいない。」

たぶん、ゲマはゲゼルから何らかの差別的な対象とされているのだろう

スキートの声のトーンはどことなく沈んで聞こえた。

そしてそのまま黙り込んでしまった。

これ以上この話には触れない方が良さそうだ。そう思った。

幾らかの沈黙が続いた後、スキートはふと立ち止まり

帽子を脱いで胸元に当てた。

スキートの頭には大きくてピンと立った獣の耳が付いており

その立派な耳が遠くの音を探るようにピクリと動いた。 

ほぼ同時にベルクも反応している。

「近いぞ。」

それから二人はボソボソと何か言葉を交わし始めた。

一瞬ベルクが驚いたような顔で真梨子の方を見た気がした。

だがスキートが何か言うと、そのままゆっくり頷いた。

その後、二人はしきりに空を仰ぐような仕草を見せた。

さっきから二人は何を気にしているのだろう?

「何が近いの?」

真梨子は聞いてみた。

「えっと・・・それは・・。」

ベルクが言葉に詰まると、すかさずスキートが答えた。

「今夜の夜営場所が見つかったのさ。

ここから少し行くと川がある。

ほら、水の音が聞こえるだろ?

そこまで行ったらテントの準備だ。

それより少しスピードを落とそうか?随分キツそうだ。

怪我でもされたら大変だからな。」

どこかはぐらかされたような気がした。

「大丈夫です。」

真梨子はなるべく愛想良く振舞うことにした。

たぶんスキートはゲゼルに良い印象は持っていない。

それゆえ真梨子のことを信用はしていないだろう。

しかしそれは真梨子の方も同じだった。

それでも行動を共にするのは真梨子には多少なりとメリットがあるからだ。

では、スキートは?

スキートが真梨子を連れて行く利得は何だろう?

そんなことを考えながら男たちの後を付いて行くと

やがて川のほとりが見えてきた。

切り立った崖に面した川の上空に、細い空が同じように流れている。

 

 

川から少し離れたところで、一行は荷を降ろし

野営の準備を始めた。

スキートが川に水を汲みに行っている間、ベルクと真梨子は

焚き火用の乾いた薪を探しに行った。

辺りはもう、だいぶ日が落ちていた。

まさかこんな見知らぬ森で、見知らぬ男たちと

夜を明かすことになろうとは思ってもみなかった。

家族は今頃どうしてるだろう?

心配してあちこち探し回っているのだろうか。

──ちゃんと家に帰れるのだろうか。

考えると胸が苦しくなった。

「おいっ!」

突然ベルクが叫び、真梨子の腕をガシッと掴んだ。

「えっ、何!?」

ベルクの目線を追うと、真梨子の足元に紫色のヘビが1匹

シュルシュルと身体をくねらせ横切っていった。

「紫のヘビは猛毒だ。危うく踏んづけるとこだったぞ。

あれは噛まれたらまず助からねぇ。」

身体からサァーッと血の気が引くようだった。

「・・・ありがとう。」

真梨子がお礼を言うと、ベルクは照れているようで

人差し指でほっぺをポリポリ掻きながら

「おいらゲゼルにお礼を言われたのは今日が初めてだ。

しかも1日に3回も言われた。

おいら達のことも馬鹿にしないし

アマリエットは良いゲゼルだな。」

真梨子はその様子を見て、ベルクは今たぶん

微笑んでいるのだろうと思った。

少しづつだがこの獣顔の表情が読めてきた気がする。

「悪いゲゼルがいるの?」

適当な枯れ枝を数本拾いながら真梨子は聞いた。

一方ベルクは落ちてる枝を拾うのが面倒臭くなったらしく

生えてる木の枝を雑にボキボキ折りながら答えた。

「だいたいのゲゼルはおいら達を見下してる。

まー、大抵は無視するぐらいだけど

偉いゲゼルはゲマを奴隷にするんだ。

中にはわざわざゲマを捕まえて

死ぬまで拷問するのが趣味ってやつもいる。」

「ひどい・・・。」

わずかな時間でベルクの足元には折れた木の枝の山が出来た。 

しかしどの枝にも葉っぱや木の実が付いたままだった。

ベルクは枝の先っぽになっている赤い木の実を見つけると

指でちぎって口の中に放り込んだ。

「普段はそんなこと滅多に起こらねぇ。

兄貴も言ってたろ?ゲマとゲゼルは住む場所が違うんだ。

お互いが干渉しないように生活してる。

でも兄貴は昔、ゲゼルにひどい事された記憶があるから

ゲゼルのことが嫌いなんだ。」

ベルクの声が少し哀しそうだった。

「兄貴ってスキートさんのことよね?

ベルクさんとその・・・本当の兄弟なの?

失礼な言い方だったらごめんなさい。

正直、あんまり似てないなぁって思って。」

真梨子の言葉を、さして気にする素振りもなくベルクはサラッと言った。

「兄貴とおいらに血の繋がりは無いけど

おいらたち、同じ孤児院で一緒に育ったんだ。

おいらバカで、孤児院でもよく置いてけぼりだったけど

兄貴はおいらのことよく面倒見てくれた。

ああ見えて兄貴はとっても優しいんだぜ。

おいら、親の顔も知らねーけど兄貴がいたから

ちっとも寂しくなかった。

だから、おいらたちは本当の兄弟以上さ。」

これ以上の詮索はやめておこう。

彼はきっと心から義兄を尊敬している。

真梨子にはそう見て取れた。

「そっか・・・ベルクさんはお兄さんが大好きなんだね。」

真梨子はニッコリ笑って言った。

いつのまにかこの、何事にも雑だが気の良い獣人に

心を許し始めていた。

ベルクはベルクで、初めてゲマを対等に扱うゲゼルに出会い

戸惑いを隠せなかった。

「・・・なぁ、アマリエット。

おいら兄貴には本当に世話になってるから

兄貴の言うことには絶対逆らえねぇけど

もし・・・。」

ベルクはうつむいたまま言葉を詰まらせた。

「ん?もし、何?」

真梨子も動きを止め、聞き返す。

「いや・・・兄貴がゲゼルを嫌いでも

兄貴のこと悪く思わないでくれよなっ。」

本当はもっと何か言いたい事があるのかもしれなかった。

嘘が得意な方ではないことはすぐにわかる。

大きい身体をモジモジさせ、そわそわとどこか落ち着きが無い。

でも真梨子は十分大人なので、そんなベルクを察してあげられた。 

「思わないよ。だってスキートさんがいなかったら私

今頃どうしてたかわからないもん。

それにベルクさんがそんなに言う人なら

スキートさんはきっと素敵な人なんだね。」 

「・・・うん。」

この獣人の義兄弟は、真梨子が想像もつかないような

大変な苦労をしてきたのだろう。

ゲマを虐げるゲゼル。

しかも真梨子はその中でも、たった一人で森をさ迷う

得体の知れない怪しいゲゼルだ。

スキートが慎重になるのは無理も無い。

それでも彼らは真梨子を保護してくれた。

今はそれを信じてみよう、そう思った。

「ベルクさん、そろそろ戻らないと

スキートさんが心配するよ。」

すっかり暗くなった森の中、川岸の方向を見ると

ポゥっと小さな丸い明かりが一つ揺れている。

スキートがランタンに火を灯したようだった。

その光はまるで「早く戻って来い」と

スキートが苛立っているようでもあった。

それを 見たベルクは

「そうだな、行こう。」

と、小さく呟いた。

 

 

 最果ての森 

  

おおよそ年季の入ったランタンが煌々と辺りを照らしていた。

煤で汚れたガラス製のホヤの中で、七色に変化する炎が

まるで幻想的に揺らめいている。 

 

川の方に行っていたスキートは、とっくに戻ってきていたようで

鉄製の鍋と水筒のようなものを水で一杯にした後

ついでに河原で拾ってきた石を器用に積み上げ

石組みのかまどをこしらえていた。

焚き木拾いから戻った真梨子とベルクを見たスキートの第一声は

やはりこうだった。

「ベルク!お前、こんな生木ばっか集めてきやがって

どーすんだこのやろう!乾いた木を集めて来いって

何度言わせりゃわかんだよ。」

そしてベルクの頭に重いゲンコツを一発お見舞いした。

ボコンと鈍い音がしたが、ベルクはかなり石頭のようで

どちらかと言うとスキートの拳の方が痛手を負った。

「ごめんよぅ、兄貴ぃ」

ベルクは益々申し訳なさそうにした。

「あの、スキートさん、 私もう一回行って来ますから・・・。

そんなに怒らないであげて下さい。」

「良いんだアマリエット、こいつにゃこれぐらいで丁度だ。

まー、時間はかかるが生木でも燃えねぇことはねー。

生木の場合はこうやって隙間なくまとめてから

乾いた木で囲んでやるとよく燃える。」

スキートはそう言って生木に生えている葉っぱを取り除きながら

木の選別を始めた。真梨子は見よう見まねでそれに倣い

スキートの後を引き継いだ。

「・・・ったく、こいつはほんとグズでバカで

どーしようもないんだよ。

そのくせ飯だけは人一倍食うんだから。」

恨めしそうな顔でベルクを睨む。

「あ、飯と言えば兄貴

おいらすっかり腹が減っちまったよ。

早く飯にしようぜ。」

ベルクはちっとも堪えていないようだったので

スキートは、はぁ~と深いため息をつくと共に肩を落とし

もう一度ベルクの頭を、今度は軽く叩いた。

「いいから手伝え。」

ベルクにマッチを投げ、火おこしをさせている間

スキートはさっきベルクに持たせていた大きな革袋を広げ

何やら準備を始めていた。

真梨子はベルクを手伝いながら興味深くスキートの行動を見ていた。

まずスキートは袋から小さめの弓矢を取り出し、袋の横に丁寧に置いた。

次に銅製の食器を一式、それから30cmほどの木箱を一つと

何か液体が入ったビール瓶くらいのガラスのボトルが2本。

最後に特殊な形のゴーグルを取り出し自分の目に当てた。

ゴーグルはキツネの顔にピッタリとした造りになっている。

そして弓矢を手に取り悠然と構えると、立て続けに3本の矢を放った。

それぞれの矢の方向から「ガサッ」と音がしたのを確認すると

スキートは歩き出し、闇に消えていった。

 

それから少しして戻った彼の手には3つの獲物がぶら下がっている。

ほんの数分の出来事だった。

「兄貴は弓の名手なんだ。

この国じゃ一番の腕前さ。」

あまりのことに目を丸くしている真梨子に、ベルクは自慢気に言った。

見事な弓の腕前にも驚いたが、もっとビックリしたのはその獲物だった。

1つは大きなネズミのような見た目で、前足後ろ足と共に

鋭い鍵爪を持ち、頭にネジ巻き状の角が生えている。

もう1つはトカゲかイグアナのような形状で

全体が赤く黄色い水玉模様の皮膚、頭には黄色い鶏冠のような

毛が生えており、背中に大きなコブがあるのが特徴だった。

最後の獲物は見るのも気持ち悪い真っ青な芋虫であった。

その太さ、大きさは成人男性の太ももほどである。

どれもまるで見たことのない生物。

今夜の晩餐になるようだ。

スキートは、どこからか小さめのナイフを取り出し

手際よく皮を剥いでいく。

ネズミのような生物の角の部分には、先ほどのガラス瓶の液体をかけ

消毒しているようだった。

ガラス瓶の中身はどうやらお酒のようで、スキートはそのまま

ボトルを口につけ、グビッと喉を鳴らしながら流し込んだ。

真梨子は大きめの岩を選んで腰掛け、胸にしっかり馬場のバックを

抱きかかえた状態でスキートの手元を見ていた。

「あの角はどうするの?」

ベルクに聞いた。

「ドリルラットの毛皮と角は色々加工して使えるから持って帰るんだ。

売っても金になるし、兄貴は弓矢の矢じりに使ってる。」

かまどに鍋をセットし終わったベルクは真梨子の隣にドサッと座った。

「あの派手な水玉と芋虫みたいのは何ていうの?」

「水玉はヒトコブトカゲ、木の実を食べて生きてるから肉質が甘いんだ。

芋虫はモスラージの幼虫だ。大人しい蛾で成虫は1m~2mくらいだな。

子供の頃はよくモスラージを捕まえて大きさを競ったもんさ。」

「・・・へ、へぇー。」

──ドン引きした。

真梨子は極端に虫が苦手だった。

虫だけではなく爬虫類も両生類も鳥類も苦手だ。

まともなフリこそしているが内心は大声を出して

この場から逃げたいくらいだった。

ましてやアレを食べるなんて考えられない。

万が一、勧められたとしても何か理由を付けて絶対断ろう。

そう心に決めていた。それに不思議と全然お腹が空いていない。

一人緊張の走る真梨子にベルクが話しかけた。

「なあアマリエット、そのカバンには

何が入ってるんだ?ずっと気になってたんだ。

何の匂いだろう?

食い物とは違う良い匂いだ。

どっちかってーと花の匂いに近いな。

アマリエットの匂いとも違う。

変わった匂いだ。」

獣人というのは嗅覚や聴覚がかなり優れているらしく

違和感のあるカバンに興味を持ったのは無理もない、と

今は思えたのでベルクに対して前ほどの警戒は無い。

「それがよくわからないんだよね。

実はこのカバン、私の物じゃなくて

はぐれた連れが忘れていった物だから

勝手にアレコレ中身を探るのも良くないなと思って・・・。

本人にお返しするまで責任があるのよ。」

ドリルラットの肉をぶつ切りにしたものを

鍋の中に投げ入れながらスキートがボソッと言った。

「魔法だな。」

真梨子はきょとんとした。

「え?」

スキートは木箱から小さな小瓶を取り出した。

小瓶の中身はたぶん塩だろう。

ヒトコブトカゲとモスラージの幼虫を木の枝に

突き刺したものにそれを振りかけると

かまどを囲むように突き立てて、まるで川魚でも焼いているように

トカゲと芋虫を丸焼きにしていった。

作業の手を休めることなくスキートは口を開いた。

「そのカバンからは魔法の匂いがする。

少なからず、カバンの持ち主は魔法使いだ。」

スキートは更に木箱から別の小瓶を取り出した。

小瓶にはトロッとした赤い液体が入っていて

その液体を数滴と、さっきの塩を鍋に適量垂らした。

その途端に鍋はグツグツと煮え立った。

「魔法使いって・・・魔法使いがいるの?

本当に本当の魔法使い!?」

驚く真梨子よりももっと驚いた風でベルクが答えた。

「何をそんなに驚いてるんだよ。

街に住んでりゃ魔法使いなんて珍しくないだろ?

ゲゼルの10分の1は魔法が使えるんだから。

それとも、そんなことまで忘れちまったのか?

けっこう重い病気なんだな。

それこそ悪い魔法でもかけられたんじゃないか?」

獣人の次は魔法使い?

二人が嘘を言ってるようには思えない。

実際、目の前の二人は人の言葉を話す獣人で、すでに真梨子の常識からは

遠くかけ離れていることは立証済みである。

他にも何が起こっても不思議ではない。

この世界には魔法使いが存在する。

だとしたら馬場は・・・あの怪しげな男は魔法使い?

ふと、名刺のことを思い出す。

名刺に文字を書けば返事が返ってくるなんて、真梨子の世界では普通じゃない。

そもそもこんな異世界にやってきたこと自体、まともと言えるわけがなかった。

なのに何故あんなにたやすく真梨子は受け入れたのだろう。

真梨子は悩んだ。本当は病気じゃないってことを打ち明けようか?

ここではない違う世界からやって来たのだと告白してしまおうか?

だが、木製のスプーンで鍋を掻き回しながらスキートが先に口を開いた。

「もしかするとアマリエットも

魔女かもしれない。」

スキートは勘の働く男だ。

真梨子は何か疑われているような気がして全力で否定した。

「えぇ!?私?

ないないない、それはないです。

そんなものとは無縁で42年生きてきましたから!

それだけは絶対無いって言い切れますから!」

「え?42年?アマリエット42歳なの?

おいらより20コも年上なんだね。

そーか、歳は覚えてるのか。あ、でも名前も覚えてたから

記憶が全部無いってわけでもないし

なんだか変な病気だなぁ。」

うっかり歳を漏らしてしまったが、これはこの際どーでも良い。

病気について疑念を抱かせるのは今はまずいと思った。

「あ・・・うん、忘れてれば良かったね・・・。

てかベルクさんの方こそ忘れてくれる?

とにかく魔法なんて使えるわけないです。」

スキートは表情を一切変えることなく真梨子を見据えて言った。

「かもしれないって言ったんだ。可能性はゼロじゃない。

その不可思議な病気も本当に魔法のせいかもしれないぜ。

おいベルク、試しにそのバッグを持ってみろ。

大丈夫だアマリエット、変な真似はしねぇよ。

たぶん、できねー。」

少々ためらいながらも、変な真似はしないと言うスキートの言葉を信じ

黒いバッグをベルクに差し出した。

ベルクの手にバッグが渡り、取っ手の部分が真梨子の手から完全に離れた途端

ドスンと音を立ててバッグは地面へと落ちた。

そこからは力自慢のベルクが押そうと引っ張ろうとビクともしない。

「どういうこと?そんな重いものじゃないのに・・・。」

まるで岩のように地面に張り付いて微動だにしないバッグに

体当たりしたりテコの原理を使ったりと色々試してみたが

そこから1mmも動かすことは出来なかった。

すっかり汗だくになったベルクはゼーゼー言いながらペタリと座り込んだ。

「ひぇ~、こんな重いもん、よく担いで歩けたなー。

アマリエットはおいらより力持ちだ。」

「バーカ、んなわけあるかよ。

バッグに魔法が掛かってるのさ。持ち主以外は持ち運びできないし

きっと開けることも中の物を使うこともできないだろうな。」

そう言いながらスキートはボトルの酒をグイグイあおる。

「え・・・でも、私には全然重くないし

1度だけ開け閉めしたけど普通のバッグと何も変わらなかったよ?

持ち主じゃないのにどうして?」

「さあな、俺だってそんなに魔法にゃ詳しくないからわからねーよ。

そのバッグの持ち主があえてお前さんにだけバッグを使えるように

あらかじめ魔法をかけて行ったのかもしれねーし、もしくは

お前さん自身に魔法の力があるのか、何とも言えねーな。」

そう言うとスキートは鍋からスープのようなものを木の器によそい

ベルクに「ほらよ」と手渡した。

さっきまでへたっていたベルクは急に勢い良く起き上がり

そのスープをズルズルと飲み始めた。

「私・・・本当に何もわからない。

ここがどこかも、これからどうすればいいかも。

ただどうしても家に帰りたくて

でもどうやって帰ったらいいかわからない。

唯一、このバッグの持ち主だけが頼りなのに

その人も今どこにいるかわからない。

何者なのかも全然わからない。」

真梨子は急に不安に襲われた。

馬場にだってもう会えるか確証はない。

家に帰れるかどうかなんてなおさら・・・。

ベルクが心配そうに覗き込んだ。

「なー、他に覚えてることはあるのか?

家族とかさ、覚えてないのか?」

「家族は・・・いるよ。夫と娘が一人。

娘は16歳なの。最近みょうに大人ぶってきて生意気なんだけど

まだまだ甘えん坊で、いまだに私の膝にゴロンって寝転んできて・・・

夫も、私より年上のクセにちっとも落ち着いてなくて

娘と二人でいっつも子供みたいに喧嘩して・・・

毎日ほんと騒がしくて・・・。でも・・・他のことは忘れるぐらい

騒がしくて幸せで・・・何より大事な家族なの。

早く家に・・・帰りたい・・・。」

夫と娘の顔を思い出すと、自然に涙が出た。

張り詰めたものが一気に切れて、ポロポロと涙が止まらなくなった。

スキートは真梨子にもスープを勧めたが、真梨子は首を横に振り

「食欲が無いから」と丁寧に断った。

そのスープはベルクが代わりに請け負った。

「じゃー、せめて」と、コップに水を入れてスキートが渡してくれた。

真梨子はそれを素直に受け取りギュッと握り締めた。

この歳になって、こんなにも不思議な状況に直面するとは思わなかった。

こんな形で家族と離れ離れになるなんて考えたことも無かった。

いつものように膝の上でじゃれる娘の頭を撫でながら

コーヒーをすすりTVを見る、そんな当たり前の毎日が恋しかった。

口を開けたまま間抜けな顔で眠る夫の顔に、小さないたずらをしては

ケラケラ笑う。それはどんなに幸せなことだったのだろう。

辺りは静まり返り、真梨子のすすり泣く声だけが川沿いの崖に反響していた。

「泣くなよアマリエット。

生きてりゃどーにかなるもんだぜ。

生きてるってのは全部に希望があるんだって兄貴が言ってた。

必要以上に悪く考えるより、今出来ることをちょっとずつ

考えた方が気持ちが楽になるだろ?」

ベルクが優しく言葉をかけ、スキートは少し気まずそうな顔をしている。

「とにかくそれを飲んで落ち着けよ。

泣いたところで状況は変わらない。だったら話題を変えよう。

そのバッグの持ち主の名前はわからないのか?」

照れ隠しのようにスキートが言った。

真梨子は赤い縁のメガネをはずし、シャツの裾で涙をゴシゴシ拭いた。

それでもまだグスグスと鼻をすすり、コップの水を一口飲むと

しゃくり上げながらもやっと声を絞り出した。

「ば・・・馬場って言う人・・・うぅ・・・下の名前は

わ・・・わからない。」

下の名前がわからないというより『赤瑪』と言う文字の

正しい読み方がわからなかった。

それでもスキート達は別の部分に反応した。

「下の名前ってことは、ババってのはサーネームか?

身分のあるゲゼルってことか・・・。」

また聞きなれない単語が出てきたので、嗚咽の合間に

真梨子は聞き返した。

「さ・・・さーねーむって・・・何?」

思うように声が出ない。真梨子はもう一口水を飲んだ。

スキートはそれを見届けた後、その問いに答えた。

「上の名前のことだ。普通、名前はみんな一つしか持たないだろ?

ゲマはもちろんだが、一般のゲゼルにもサーネームは無い。

それなりに身分のあるゲゼルか、大物の魔法使いか、はたまた訳有りで

王様から特別に名前を賜ったゲゼルしかサーネームは許されてない。

名前を複数持ってる人ほど身分が高く力の強い魔法使いの可能性が高いが

サーネームはそれそのものに力があるから人にはあまり他言しない。

悪用される恐れがあるから、大抵の貴族なんかは警戒して

普段は下の名前で生活してるはずなんだが・・・。

サーネームしか知らないなんて逆におかしい。

もしかしたらまだ名前を隠し持っているのかもしれないな。」

話を聞きながら真梨子は少し落ち着きを取り戻し

 

「で、でも、本当の名前かどーかわからないし

嘘の名前ってことは無いの?」

今度はベルクがそれに答えた。

「それは絶対無いよ、アマリエット。

名を偽るのは大罪だ。どんな魔法使いでもそれだけは出来ない。

名前ってのは命との契約なんだ。一つの命には一つの名前が付けられる。

名前が複数あるってことは命を複数持ってるってことで、例えば

おいら達みたいに一つしか名を持たないものが名を偽ると

途端に死ぬ。それがこの世の理だ。」

なんだかとても物騒なことを言っているのに、ベルクは涼しい顔で

ヒトコブトカゲの丸焼きをガブッとかじっている。

ゼラチン質のコブの部分を真梨子に差し出し、しきりに

「美容に良いから」と勧めてくるが、真梨子は頑として断った。

芋虫も同様に勧められたが真梨子は少しも口にしないまま

ほとんど全てがベルクの胃に収まり食事を終えた。

 

しばらく、三人は黙ったまま

各々がゆっくりと時を過ごした。

それから真梨子は食事の片づけを担い、鍋や食器を片付けた。

ベルクはスキートに頼まれて、再び森の中へ入っていった。

15分ほどで帰ってきたベルクは、丈夫な枝と木の蔓を携えていた。

スキートはそれらを受け取ると蔓を器用な手付きで編み始めた。

その間、真梨子の脳裏には一つのことが引っかかっていた。

 

『名を偽るのは大罪』

 

こちらの世界ではどうやら名前はとても重要なもので

名前を偽ると、罰として死を招くものらしい。

しかし真梨子は、成り行きとはいえ『アマリエット』と

名前を偽ってしまっている。にも関わらず

いまだこうしてピンピンしている。

真梨子がこちらの世界の住人では無いからなのか?

それとも一応、苗字と名前の二つを持っているからなのか?

どちらにしても今の状況で、このことを二人に相談は出来ない。

「どーかしたのか?」

スキートが様子を伺うように真梨子を覗き込んだ。

「え?・・・あ、いや・・・。

そう言えばスキートさん、お仕事があるって言ってなかった?

もうすっかり暗いけど、今からそのお仕事を始めるの?

何のお仕事?もしかして、狩りかなにか?」

その問いにスキートとベルクは一瞬不意を付かれ

まごついたような態度を見せたが、スキートは

「あ、あぁ・・・今から狩りをする予定だ。」

焚き火に薪を数本くべながら、真梨子はスキートの手元を見た。

スキートは元から持っていた縄に木の蔓を足しながら格子状に編みこみ

わずかな時間で大きな網を作り上げていた。

「もしかして、これ、狩りの準備?

一体何を捕まえるの?私にも何か

手伝えること・・・あ・・る?」

そう言いかけたところで、真梨子は自分の異変に気付いた。

──あれ?なんか頭がぼーっとする。

視界がぼんやりと揺れ、スキートの手元が二重に重なって見える。

なんだか立っているのが辛くなってきた。

「アマリエット!」

ふらふらとおぼつかない足取りで倒れこみそうになる真梨子を

ベルクがとっさに支えた。

スキートはその様子を慌てるでもなく静かに見守りながら

ゆったり口を開いた。

「いいか、よく聞け。

この森は、丸腰のゲゼルが物見遊山で立ち寄る場所じゃねぇ。

危険な生き物もたくさんいる。

大抵、この森にいるのは行き場の無いゲマくらいで

誰も好き好んでこの森に来るヤツはいねぇ。

気を抜けば、慣れた者でも行き倒れる危険な森だ。

ましてやゲゼルなんて滅多に立ち寄らねーし、用があるとすれば

何か手に負えないものを捨てに来るぐらいだ。」

スキートは一体何を言いたいのだろう?

しかし真梨子の身体は次第に力が入らなくなり

思うようにいかなくなっていった。

「手・・・に負えない・・。」

今にも意識が遠のいてしまいそうになるのを必死で耐えながら

真梨子は会話についていこうとした。

ベルクは真梨子を抱きかかえながら

どうしていいかわからない様子でおろおろとするばかりだ。

「そいつと・・・そのバッグの持ち主と

お前さんがどんな関係かは知らないが、理由はどうあれ

魔法使いのクセにお前さんをこの森に一人残して行ったヤツだ。

そんなヤツを俺ならまず信用しない。

魔法使いなら・・・いや魔法使いじゃなくても、この森がどんな森か

知らないヤツはどこにもいねぇよ。

それでもそいつはお前さんをここに置いて行った。 

何も知らないお前を置いて行ったってことは・・・。

お前さんはそいつに捨てられたってことじゃねーのか?」

──捨てられた・・・?

でも、味方だって・・・。

馬場は数少ない私の味方だって、言ってたのに・・・。

スキートだって、ベルクだって、今の今まで信じかけていたのに・・・。

真梨子はもう言葉を発することも出来なくなっていた。

それでもスキートはお構い無しに

初めて会ったときと同じ冷たい声で淡々と語りかける。

「すまねーな、アマリエット。

この赤い液体はゲマにとってはただの香辛料に過ぎないが

ゲゼルが口にするとちょっとした睡眠効果がある。」

あの小瓶をつまみ上げ、プラプラと振って見せた。

「え!?そうなのか!?」

ベルクが緊張感の無い声を上げた。

「なかなか飯を食おうとしねーから、少し焦ったぜ。

飲み水にも混ぜておいて正解だった。」

「兄貴ぃ・・・。」

ベルクは複雑な思いで義兄を仰ぐ。

それを気にも留めずスキートは更に饒舌になった。

「別に、お前さん個人に恨みはねーが、俺達にも生活ってのがある。

どーせ捨てられたんなら、せめて役に立ってくれよ。

狩りの手伝いがしたいんだろ?」

スキートの低く響く声がどんどん遠くに感じる。

真梨子はとうとう目を開いていることも出来なくなった。

暗い闇の向こうで、夫と娘の姿が浮かぶ。

二人はこちらに向かって笑いながら手を振っている。

──すぐ帰るから

きっと、もうすぐ帰るから・・・。

でも何故か二人の顔がボヤッとしてはっきりしない。

不思議と二人の顔が思い描けない。

 

「あー・・・お前さん、確か

ここがどこかわからないって言ってたな。

お礼と言っちゃなんだが教えてやるよ。

ここはこの世の全ての厄介者の墓場。

『最果ての森』って言うのさ。」

 

その声を聞き届けると、真梨子の意識は完全に無くなった。

 

 

 

つづく

 

(°∀°)ノ 

 

 

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